◎【現地レポート】”日本軍「慰安婦」問題解決のための 第1112回 水曜デモ”
於 ソウル日本大使館前 12:00~13:00
立春寒波の中、旧正月明け最初の水曜デモが行われました。
参加していたハルモニはキム・ポクトンハルモニとキル・
ウォノクハルモニ。
学生たちが多く参加していました。
デモ参加者と大使館の間の道路を通る車から、「
ハルモニたちに謝罪を!」
と大きな声でデモに激励の言葉を残していったおじさんがとても印
象的で、デモ参加者の中からもふっと笑みがこぼれていました。
寒空の下でしたが心が温かくなった瞬間でした。
そしてデモの声明文にも書かれていましたが、やはり、
NHK新会長の発言について活動経過報告の中で言及されました。
「歴史を知らない人はバカだ」
と言うユン・ミヒャン挺対協常任代表の言葉にうなづくばかり。
1月26日にファン・クムジャハルモニが亡くなられ、
また中国の「慰安婦」訴訟の原告である被害女性・
陳林桃ダーニャンも亡くなられ、どんどんと寂しく、つらく、
厳しくなってきています。
◎【訃報】ファン・クムジャハルモニ(挺対協より)
『日本軍「慰安婦」被害者ファン・
グムジャハルモニが1月26日午前1時30分に亡くなられました
。(享年91歳
ハルモニは1924年にハムギョン道で生まれ、
13歳ごろにハムギョン北道フンナムのガラス工場で働き、
約3年後に間島地方で戦争が終わるまで日本軍「慰安婦」
生活を送りました。
解放後、家族親戚のいない(分断線の)南側に定着し、日本軍「
慰安婦」
被害の後遺症で対人忌避症となり寂しい一人暮らしをしてきました
。
簡単には人を信じず人間関係を断絶し生きてきました。
日本軍「慰安婦」
被害者に申告後もハルモニは公開活動をしませんでした。
勤勉で有名なハルモニは古紙回収でためたお金を貯金し、
政府からの生活支援金も使わずあつめ、
2006年から地域の区庁に奨学金として寄付しました。
未来世代のため全財産を寄付したハルモニにはつつましい賃貸アパ
ートだけがすべてでした。
ファン・グムジャハルモニが亡くなり、
生存者は55人になりました。』
◎【訃報】陳林桃ダーニャン(第1次中国人「慰安婦」
訴訟弁護団より)
『1995年、第1次中国人「慰安婦」訴訟の原告 陳林桃さんが1月29日自宅でなくなりました。
陳さんは1923年山西省う県侯庄村で生まれ、
15才で結婚して羊泉村で生活していましたが、
夫が八路軍に参加し、
夫の両親と羊泉村で生活していた1943年旧暦7月ころ、
村の川で洗濯しているところを日本軍兵士に捕まりました。
そして同じ日に李庄村で捕まった侯冬が(女篇に我)
とともに進圭村に連行されて監禁され日本軍兵士から性暴力をうけ
ました。
捕まった最初の日に日本軍兵士から「夫の居場所を言え」
と言って拷問を受け、そのとき大腿骨を骨折しました。
一緒に捕まった侯冬がの世話になりながら約20日間監禁され、
その後解放されましたが、
重度のPTSDと骨折による大腿骨の変形が後遺症として残ってい
ました。
陳さんは、提訴の時から肺気腫を持っていて、
片肺が機能せず呼吸が辛そうでした。
どうしても日本へ行って被害を訴えたい、という強い希望を、
私は陳さんのこの病状から現地の病院でも診断して戴きましたが、
無理と判断し、中国人「慰安婦」事件の6人の原告の内ただ一人、
来日できませんでした。今になってみると、
あんなに直接裁判所で訴えたいと言っていた陳さんの希望に添えな
かったことをとても苦しい思いで思い出しています。
これで6人の原告の内、
ご存命なのは李秀梅さんただ一人になってしまいました。』
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