2014年6月11日水曜日

水曜企画-ハルモニと共に【258】

◎【学習】映画「地の群れ」
『”海と毒薬”(1986)などの作品で知られる熊井啓監督が、井上光晴の同名小説を映画化。未開放部落・在日朝鮮人・被爆者・基地を通し「戦後の暗黒」を告発。感傷を拒否した鋭い映像で人間を描く。
昭和40年代前半の佐世保。
そこには長崎で被爆し体と心に傷を負った者たちがいつしか住みついた集落がある。住人らを奇異の目でながめ蔑視する地元民。
しかし、その土地にはもうひとつ部落差別の暗い歴史が存在していた。
少女への強姦容疑をかけられながら被爆死した母の影を追い続ける青年。
原爆症に苦しむ娘をもちながら自らの体験をひた隠しにする母親。
それを目の当たりにする開業医の宇南にもまた、暗く拭いきれない過去の傷があった』
自分より”下”のものを見出すことで少しでも自身を優位に置こうとする人間の業をまざまざと表現している本作品。
戦争、被爆という極限的に人間の肉体も精神も破壊する物事に直面するとき、その業は一層はっきりとその姿を現します。
人間誰しもが持っているその深い闇を自覚しなければいけない。
井上光晴氏は他の作品でも被爆の被害について書いています。
「血がとまらない」と。氏の作品によく出てくる表現です。
放射線障害の恐ろしさを表したもので、氏は原爆による”被爆”だけでなく原子力発電所での”被曝”についても描いています。

◎【訃報】ぺ・チュニ ハルモニ(ナヌムの家より)
日本軍慰安婦被害者ぺ・チュニハルモニが8日亡くなられました。91歳。
京畿道廣州のナヌムの家は、ペ ハルモニが8日明け方5時頃、ナヌムの家で永眠されたと発表。
ぺ・チュニハルモ二の死去により、韓国政府に登録されている慰安婦被害者237名の中で生存者は54名に減少した。
故 ペ・チュニ ハルモニの略歴
1923年 慶尚北道星州生まれ
1942年 19歳の時、就職詐欺で強制動員
1945年 中国満州で4年間被害者生活
1980年 日本から韓国に帰国
1933年 韓国政府に被害者登録
1996年 ナヌムの家に入所
2014年 6月8日午前5時、「ナヌムの家」で老患により死去(92歳)

2014年6月4日水曜日

水曜企画-ハルモニと共に【257】

◎天安門事件から25年
1989年6月4日、中国の民主化を求める市民たちによるデモ隊に向かって中国人民解放軍が武力弾圧をした事件-天安門事件より25年がたちました。
25周年のこの日を迎えるにあたり、中国政府は言論の統制をおこなったり、60名を超える人物の身柄を拘束したりしたと。
依然として民主化は進んでおらず、少数民族の当局に対する反発の強まりとそれに伴う弾圧はエスカレートするばかりです。
民主とは。どこの国にも当てはまることとして、中国ロックの父・崔健の言葉を見てみます。
『国家というのは割合に偏狭で、自分を脅かすものがあると、すぐ民主ではないかと思ってしまうところがある。彼らは、民主とは要するに、もうひとつの党、もうひとつの軍隊のことじゃないかと恐れる。
でも、芸術家や人間一人ひとりにとっての民主とは、自由のことにほかならないんだ。』
『ほんとうの芸術とは、力量をそなえていて、ある種の腐敗とたたかい、ある種の現実と対抗していくものだと思う。
俺は、人びとを元気づけ、ますます人びとの力量を強めていくような作品を書きたい。
すると、ちょっとついて行けない、という聴き手も増えるかもしれない。行き過ぎだ、とか言ってね。でも、俺は思う。現在のことを書くのなら、行き過ぎということはない。なぜなら芸術家が反抗している相手は、もっと力量があるからだ。』
『俺は、みんなに自分を愛してもらいたい。国家を愛してもらいたい。歴史を愛してもらいたい。自分の履歴を愛してもらいたい。自分の未来を愛してもらいたい。』(岩波ブックレット359「崔健 激動中国のスーパースター」橋爪大三郎著)