2015年2月18日水曜日

水曜企画-ハルモニと共に【294】

メモ【学習】泥憲和さんのお話 テーマ ”集団的自衛権”
2月14日(土) 姫路市民会館5F第1教室
『安倍首相から「日本」を取り戻せ!!」』を書かれた泥さんのお話。
安倍首相がいかに無謀で危険なことを進めているか、「イスラム国」問題への対応や中東事情、軍事的な事情を交えて解説。
また、国連DDRの活動に日本が貢献していると。憲法9条を守り、戦後一度も戦争をしていない日本だからこそ武器を使わずゲリラから武器を捨てさせることができたと言うお話に、改めて憲法9条の大切さを感じました。
自衛隊の高級幹部も反対している集団的自衛権。私たちは(いかなる条件が付こうと)絶対に是認してはならないし、無謀に戦争に向かっていく安倍首相を、自民党を認めるわけにはいきません。
マスメディアの情報だけを見ていると、分からないことが多くあります。また、特に関心を持たなければ見逃してしまう大事なことも多くあります。
泥さんの話を伺うと、相手に銃口を向けなくても日本は守れるし、平和を築いていくことができるのだと希望が見えてきます。
少し目を凝らし、細かいところに視線を向け、考察し、声をあげ、共有し共闘する。そうしていきたいと思いました。

2015年2月11日水曜日

水曜企画-ハルモニと共に【293】

デンマークのオーフス市で行われている、イスラム国に傾倒する若者を社会復帰させる取り組み「オーフスモデル」についてのドキュメンタリーがNHK BSで放送されていました。
罰するのではなく、対話をすることで若者を救おうという試みです。
”相手の意見を尊重する”ことが重要だと。
相手を尊重することは言葉にすれば簡単なことですが、何より重要で、かつ、難しく、今もっとも足りないものだと言えるでしょう。
この試みが成功するかはわかりませんが、そういう方向に向くことが今の(あらゆる)悪い状況を打開するための一歩になるんじゃないか。そう思います。

◎【ニュース】”「安倍首相の教科書修正圧力に驚愕」米歴史学者が共同で声明”(2月6日 ハンギョレ新聞日本語版http://japan.hani.co.kr/arti/international/19599.html)
<要約(原文は上記アドレスにアクセスしてご覧ください)>
昨年末、アメリカの歴史教科書に記述されている下記の文の削除を日本政府が求めたことに対し、アメリカの歴史学者が共同で声明を出した。
「日本軍は14~20歳の約20万人の女性を慰安所で働かせるため強制的に募集、徴用し、『慰安所』と名づけられた軍施設で働くように強要した。日本軍は、このような事実を隠蔽しようと多くの慰安婦の女性たちを虐殺した」
声明では
「私たちは最近、日本政府が第二次世界大戦当時、日本帝国主義による性的な搾取の野蛮なシステムの下で苦痛を経験した日本軍慰安婦について、日本およびその他の国の歴史教科書の記述を抑圧しようとする最近の試みに驚愕を禁じ得ない」
と明かしている。
声明を主導したアレクシス・ダデン教授は「外国政府がすでに証明された歴史的事実を教科書から削除してほしいと要求することは極めて異例なことだ」と述べている。

2015年2月5日木曜日

花こころ学習会のお知らせ

第76・77回花こころ学習会
『泥憲和さんのお話 ”「反戦・反差別の闘い方」ケンカの仕方教えます”』
護憲派でヘイトスピーチに抗議するカウンター行動もする泥さん。独自に集めた史料を元に打ち立てられる理論には説得力があります。
【泥憲和】
1954年兵庫県姫路市生まれ。1969年陸上自衛隊入隊。少年工科学校(現在の陸上自衛隊高等工科学校)を経てホーク地対空ミサイル部隊に所属。1978年工場経営。1992年神戸及び姫路の弁護士事務所に勤務。現在は集団的自衛権、改憲問題、人種差別など様々な社会問題に体を張って取り組んでいる。
著書『安倍首相から「日本」を取り戻せ!!』
◆2月14日(土)午後6:30 姫路市民会館5F第1教室
テーマ ”集団的自衛権”
◆3月22日(日)午後6:30 姫路市民会館5F第1教室
テーマ”「慰安婦」問題”
※参加できる方はご一報下さい。詳細をメール等にてご案内いたします。
連絡先:E-mail hanacocoro@gmail.com

2015年2月4日水曜日

水曜企画-ハルモニと共に【292】

三日月またお一人、「慰安婦」被害女性であるハルモニが亡くなられました。日本軍「慰安婦」生存者は53名に。

反省しないからまた戦争が起きる。
「イスラム国」なんて言うアメーバみたいに掴みどころのない、しかし、確実に拡がっていっている組織が生まれて、彼らのやっていることは断じて許されるべきものではないけれど、なぜ、そんなものが生まれたのかを認識しなければ、争いは強く大きくなるばかりだ。
アメリカのやってきたことを振り返らなければ。それに追従しようとする日本の姿を振り返らなければ。
アメリカと友好的になることは良い。しかし、誤ったことを共にする必要はない。
「殺されたから殺す」のではなく、「彼らも生き、私たちも生きる」方法を求めるのがこの世に生を受けた人間の務めだ。

◎【ニュース】”時代の正体〈56〉歴史と向き合う 旧日本軍の慰安婦像 反日ではなく共感”(1月28日 神奈川新聞http://www.kanaloco.jp/article/83333/cms_id/123281より抜粋)
『…間近で見ると、はだしの少女はかかとをわずかに浮かせていることに気付く。膝の上の両の拳はぎゅっと握られ、左肩には黄色い小鳥が乗る。
東京都練馬区のギャラリー古藤(ふるとう)<表現の不自由展>に展示されている慰安婦の少女像。
ソウルの日本大使館前に建てられたブロンズ像の原型になったものだ。鈍色のブロンズとは違い、ほんのり色づくほお紅が生気を漂わせる。
一見しただけでは分からないが、かかとはすり切れているのだという。
「大変だった人生を象徴している。遠くに連れて行かれ、故国に戻ってきても居場所がない人もいたから」
キム・ソギョンさん<少女像の作者>が説明を始めた。
切りそろえられていない髪の毛も、家族や故郷とのつながりを断ち切られてしまったことを表している。肩の小鳥は平和と自由の象徴。「平和を守る守護神として作った像なのだから」
そしてソギョンさんが繰り返し口にするのが「共感」の2文字。像の隣に置かれたいすも作品の一部になっていて、「隣に座って慰安婦の心を想像してほしい」。少女と目線の高さを合わせ、動かぬ像のぬくもりを感じ、その時、心はどう動くのか。
「元慰安婦は抱えた心の痛みを払拭(ふっしょく)できない人がたくさんいる。自分が慰安婦だったら、どう思い、何を感じるか。少女の気持ちになって考えるきっかけにしてほしい」』

2015年1月28日水曜日

水曜企画-ハルモニと共に【291】

雷安倍政権に国民は殺される。そう知ってはいましたが、強く実感したこの数日。

映画【学習】映画「太陽を盗んだ男」
長谷川和彦監督発言集
” 「太陽を盗んだ男」は要求のない時代に生きる俺自信のメッセージだ ”(キネマ旬報インタビュー)
http://www3.ocn.ne.jp/~goji/006.html
”長谷川和彦 黒い雨と今村昌平を語る ”(映画芸術インタビュー)
http://www3.ocn.ne.jp/~goji/016_1.html
”菅原文太さんについてつぶやく「太陽を盗んだ男」長谷川和彦監督 ”(ツイート集)
http://togetter.com/li/753682

カチンコ映画「鬼郷(クィヒャン)」(韓国)監督 チョ・ヂョンレ
本年8月試写会を目標に現在撮影中。
予告編動画→http://youtu.be/duABz5T2zxM
『<2015年 他国で死んでいった少女たちが家に帰ってくる>
日本軍”慰安婦”強制動員被害者の少女たちの実話を元に作られる映画「鬼郷」は他郷で亡くなった20万人の無念の霊たちを、たとえ魂としてでも故郷の懐ろへ連れ戻し、あたたかいご飯ひとさじ差し上げる、そんな意味を持った映画です。
今までに(2014年10月30日)1万名を超える韓国、アメリカ、日本各地の人々から募金された後援金で一場面、一場面作っていきます。
映画が作られ、一度上映されるごとに一人ひとりの魂が故郷へ帰って来るという思いで「鬼郷」製作陣は最善を尽くします。』
後援金は現在も募集中です。
詳しくは本映画に娘さんが主演、ご自身も出演している劇団タルオルム代表・金民樹氏のFacebook https://ja-jp.facebook.com/minsu.kim.94009
又は花こころhanacocoro@gmail.comまで

◎【訃報】ファン・ソンスンハルモニ(韓国挺身隊問題対策協議会より)
『皆さま 2015年に入りはじめての訃報をお伝えします。
1月26日午前8時、ファン・ソンスンハルモニが享年89歳(かぞえ)で亡くなられました。
ハルモニは1926年に全羅南道で生まれました。
17歳ごろ親戚の家へご飯を食べに行く途中プサンにある工場に就職させてやるという男の言葉にだまされついていきました。
プサン、日本を経て南太平洋の島で戦争が終わるまでの約3年間「慰安婦」生活を強いられました。
解放(終戦)後、故郷にもどり長年の貧困と病気に苦しんだハルモニでしたがいつも情深く温かい方でした。』
日本軍「慰安婦」生存者は54名になりました。

2015年1月21日水曜日

水曜企画-ハルモニと共に【290】

1月17日、阪神淡路大震災から20年。
自然災害は不可避です。その中で、人間はできるかぎり人命と人権を傷つけずにいられるように努めなければいけない。
それが社会です。社会がうまく動くように政治がなされなければならない。
この20年の間にまた大きな震災が起き、更に深刻な「人命と人権」を傷つける事がされ続けている。
もう一度肝に銘じなければ。
人間はできるかぎり人命と人権を傷つけずにいられるように努めなければいけない。

メモ【ニュース】”<災前の策> (1)共助”(1月10日 中日新聞http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015011102000061.html
<要約(原文は上記アドレスにアクセスしてご覧ください)>
阪神淡路大震災で息子を失った在日朝鮮人の崔敏夫さん。
小さい頃から差別を受け、日本人社会にはあまり関わらないようにしていたが、震災後「安全な地域に復興して欲しい」と息子が願っているのではないかと思い、地域の復興活動を積極的にするようになった。
その熱心さは行政を動かし、防災設備が整っていった。
しかし、設備とともに大事なのは住民の力だ。
震災直後、生き埋めになった人を掘り出したのは、九割が市民だった。
崔さんは言う。
「防災、防災というけど、難しいもんやない。『こんにちは』から始まるんや」

2015年1月14日水曜日

水曜企画-ハルモニと共に【289】

【ニュース】”大阪出身の在日同胞2世はなぜソウル駅でホームレスになったのか”(1月14日 ハンギョレ新聞日本語版http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19321.html)
『在日同胞2世のカン氏(78)は、昨年3月、スーツケース一つだけもって大阪にある4階建ての自宅を出た。 3年前に妻と死別し一人で住んでいたところだ。彼は「二度と戻らない」という手紙を二人の息子に残した。
慶尚南道河東(ハドン)が故郷のカン氏の親は日本植民地時代に日本に渡った。トンネルとダム工事現場で肉体労働をした。カン氏は日本で生まれた。教育は小学校1年に通ったのが全部だ。近所の朝鮮人のおじさんにハングルを少し教わったが、今は読めない。韓国語もあまりできない。
彼は自分のように日本で生まれた韓国人の妻と結婚して二人の息子に恵まれた。製靴工として働いていたカン氏は39歳の時、小さな焼肉の店を開いた。妻は料理が上手だった。猫の額みたいほどの店が一度に100人まで入るほど大きくなった。お金も結構貯まった。
しかし、苦労をともにしてきた妻が他界すると、突然すべてが変わり始めた。財産を二人の息子に分け与えてからむしろ関係が疎遠になった。歩いて10分の距離に住んでいる息子は父を遠ざけた。長男は日本に帰化して日本名を名乗り日本人の妻と暮らしている。
カン氏は、「お金をたくさん稼いではならない。一度お金が手を離れれば心は戻って来ない」と目頭を赤くした。
カン氏は「苦しい。こんな生活に疲れた」と手紙を残しては仁川空港行きの飛行機に乗った。親の故郷である河東と亡くなった妻のゆかりの地である大邱(テグ)を訪れた。板門店にも行ってみた。
残りのお金でフィリピン旅行に行ったカン氏は現地で詐欺に遭った。仁川を経て大阪に帰る飛行機のチケットだけやっと買えた。しかし、仁川空港に降り立ったカン氏は大阪には行かなかった。カン氏の韓国でのホームレス生活はこうして始まった。彼は 「韓国で死にたかった」と話した。
彼は子供の頃、母から聞いた「ご飯食べて」「早く来て」など簡単な韓国語しかできない。仁川空港で数日寝泊まりしてから、目的地もなくただ道路に沿って歩いた。空腹で三日を過ごしたあげく、公園で倒れているのを発見され、ソウル駅の近くのホームレス施設に移された。
施設の関係者は日本に帰るように説得したが、彼は「韓国で暮らす」と聞きいれなかった。韓国語もろくにできない老人に優しく接してくれるホームレスは多くなかった。それでもパンと海苔巻きをもらいソウル駅地下道で夏を迎えた。あるホームレスが無料食堂を教えてくれてからはご飯も食べられるようになった。ソウル駅待合室であまりわからないテレビを見て時間を過ごした。
ホームレスの人権団体「ホームレス行動」の活動家がカン氏を発見したのは、ホームレス生活が四カ月目に入った昨年8月初めだ。カン氏は健康状態が非常に悪かった。ホームレス行動は、入居できる施設を探したが、住民登録番号がなく、入れるところがなかった。外交部に在外国民永久帰国届を出し日本の永住権を返却してから、住民登録証を発給してもらえた。また、基礎生活受給者の資格も得て考試院で暮らせるようになった。
8日訪ねたソウル龍山(ヨンサン)区漢江路(ハンガンノ)の鉄道周辺考試院には小さなベッドとテレビ、冷蔵庫一つが生活用品の全てだった。数分間隔で電車が通るたびに、部屋も一緒に揺れた。
彼は時々無料乗車券をもらい地下鉄に乗ってあちこち歩き回っていると話した。終点まで行ったこともある。 「東大門駅の近くで売っている2500ウォンのもやしクッパがオモニの味」だったそうだ。昨年の大晦日には地下鉄を乗っていたら雪が降ってきた。 「悲しくて涙がたくさん出た」。
カン氏は週に一度はホームレス行動の事務所に行く。同じ境遇のホームレス、箱房生活者と卓球をして暇をつぶす。ここで会った人々は大阪出身である彼に「東京」というニックネームを付けた。ホームレス行動の紹介で会ったある会社員は仕事帰りにカン氏の家に寄って日本語で話し相手になってくれる。彼はカン氏に韓国語教材と鉛筆をプレゼントした。カン氏は「ホームレス生活から脱出できるよう助けてくれた人たちにはとても感謝している」としながらも、「小学校に通う末っ子の孫娘に一番会いたい」と涙を見せた。
しかし、カン氏は「日本には帰りたくない」と言った。 「もう長くないので韓国で死にたい」と話した。在日大韓民国居留民団地域支部の関係者は13日、「在日同胞2世とその子供の間では価値観の違いで苦しむ場合が多い」と話した。
パク・テウ、キム・ジウン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/673486.html 訳H.J』

2015年1月7日水曜日

水曜企画-ハルモニと共に【288】

2015年が始まりました。
今年は終戦から70年、阪神淡路大震災から20年。更に、日韓条約締結から50年。
心を引き締めなおし、もっと確かな、強い歩みを進めて行かねばならない年です。
腹くくって、いきましょう。

◎”慰安婦問題の“戦犯”朝日・植村記者が反論! 右派のデマ攻撃が明らかに”
(12月25日 LITERA http://lite-ra.com/2014/12/post-736.htmlより抜粋)
『朝日新聞の誤報問題で第三者委員会による検証結果が発表され、右派メディアやネットでは、またぞろ激しい朝日批判が高まっている。
…一連の朝日問題で我々が本当に検証しなければならないのは、そもそも朝日の誤報はここまで叩かれ、社長が辞任しなければならないようなものだったのか、ということだ。
朝日バッシングの背後には、明らかに安倍政権と右派メディアによる歴史修正主義の策謀があり、朝日はそのプロパガンダのためにスケープゴートにされた。その問題が検証されないまま、この一件が幕引きになるのは、日本のジャーナリズムにとっては大きな禍根を遺すことになるだろう。
しかし、最近、その問題を真正面から検証した本が出版された。青木理による『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心』(講談社)だ。
最近はワイドショーのコメンテーターも務めている青木だが、もともとは共同通信のソウル特派員で、リベラルなスタンスをもつ硬派ジャーナリスト。朝日問題でも一貫して、過剰なバッシングの動きに疑義を呈し、『朝まで生テレビ!』などでも孤軍奮闘してきた。
同書はその青木が朝日問題をテーマに書いた雑誌コラムの再録と書き下ろしルポで構成されており、朝日バッシングの風潮に抵抗する、はじめてのまとまった書籍といえるだろう。
ただし、そのアプローチの方法は最初に結論ありきではなく、かなり実証的なものだ。青木は書き下ろしルポの中でバッシングにさらされた当事者である朝日の記者たちを直撃し、それがいかにフレームアップだったかを丹念な取材で解き明かしているのだ。
その証言者のひとりが、朝日OBの植村隆だ。朝日記者として1990年代の初頭、韓国で名乗り出た元慰安婦の証言を最初に伝えた植村は、「慰安婦問題に火をつけた張本人」として最大の“戦犯”だと罵られている。
しかも妻が韓国人である上、妻の母が日本の戦争責任を追及する韓国の市民団体の幹部だったことから、ネットには「国賊」「反日工作員」「土下座しろ」「腹を切れ」といった罵詈雑言が溢れかえり、一般週刊誌にまで「捏造記者」「慰安婦火付け役」と名指しで攻撃された。
攻撃はメディア上だけではなかった。2014年3月に朝日を早期退職した植村は、関西の女子大に教員として再就職することが内定していたのだが、同大には嫌がらせや抗議の電話、メールなどが殺到。大学側が内定を取り消してしまう。
また植村氏は現在、札幌市の北星学園大学で非常勤講師を務めており、ここにも嫌がらせの電話やメールのほか、学生に危害を加えることを示唆する脅迫状まで送りつけられ、北海道警が捜査に乗り出す事態となった。
そればかりか、ネット上での誹謗中傷は植村の家族にまで拡大し、娘の実名や写真までさらされ、「反日サラブレッド」「自殺するまで追い込む」などと書き込まれている。
だが、植村記者はほんとうに「慰安婦問題に火をつけた張本人」だったのか。91年8月11日、たしかに、植村は韓国の元慰安婦としてはじめて名乗りをあげた金学順の証言を他メディアに先がけて報道したのは事実だ。
しかし、青木の取材によって、それはまったくたいした記事でなく、当時、ほとんど話題になっていなかったことがわかってくる。
…ところが、批判は朝日と植村だけに集中した。植村は同書の中でこう話している。
「僕は金さんのことを一度も『強制連行』とは書いていない。本文の中では『だまされて慰安婦に』って書いてある。それなのに、僕だけが攻撃され、他のメディアは攻撃されない。もちろん攻撃している人たちはほかを攻撃してもしようがなくて、朝日の植村を攻撃しなきゃしようがないんだろうけど」
ようするに、植村はたまたま一番最初に慰安婦の証言を書いた、それだけなのである。記事はほとんど話題にならず、書いたのも20年前に2回きり。言葉の誤用や事実関係の掲載基準も他社とたいして変わらないレベルだった。そんな新聞記者がなぜこんな目にあわなければならないのか。
しかし、この構造こそがこの朝日バッシングの本質なのだ。とにかく自分たちの誇りとやらを傷つける慰安婦の存在を否定したいがために、ほんのわずかな誤謬を探し出して、それを針小棒大に騒ぎ立て、「陰謀」「捏造」というデマを拡散し、スケープゴートを作り出して、「売国奴」という言葉で犯罪者のように血祭りに上げる。そのやり口は、それこそ関東大震災のときにデマをばらまいて朝鮮人を虐殺したやり口と同じだろう。
しかし、当の植村はこんな目にあいながらも、慰安婦問題について冷静にこう語っている。
「結局、慰安婦問題を否定したがる人たちって、元慰安婦の人たちとほとんど向き合ったことがないと思うんです。おばあさんたちの声に直接向き合っていない。それで証言の食い違いみたいなところに固執して否定したがるのって、すごく残念な気がする。こんなことをいくらつづけても、世界から孤立しちゃうんじゃないかって気がしますね…」
同書には、他にも、朝日で論説主幹や主筆まで務めながら「竹島を韓国にくれてやれといった国賊」と罵られている若宮啓文や、猛バッシングの渦中で東京本社報道局長を務めていた市川速水らへのスクープインタビューも掲載されている。
世論におもねった第三者委員会の検証などではわからない、朝日問題の本質を知るためにも、ぜひ一読してみてほしい。』 (エンジョウトオル)

【本】”抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心”青木理著(講談社)
定価1,400円(税別)
『 慰安婦報道の「戦犯」と呼ばれた植村隆、市川速水、若宮啓文、本多勝一ら朝日関係者に徹底取材。報道の現場から問題の全真相をルポルタージュし、バッシングの背後にうごめく歴史修正主義をえぐり出す。
闘うジャーナリストが、右派の跳梁に抗する画期的な一冊!
「反動の時代。ひとことでいえば、そういうことだろうね」──本多勝一(元・編集委員)
「僕はやっぱり虐げられた側というか、人権を侵害されている人たちの側から発信したいというのがあった」──植村隆(「従軍慰安婦」報道の火付け役と言われた元・記者)
「朝日が膝を屈したと僕は考えていない。魂を売ってしまったとかいうことでは決してない」──若宮啓文(元・主筆)
「最初は自分が左翼かと思って戦後補償問題をやりはじめたんだけど、やってみたら右翼だと思いました。日本がアジアのリーダーとして、立派な国であってほしいと思った」──市川速水(前・東京本社報道局長)
「だから朝日が変わるということは、戦前の歴史を考えると、とても大きな意味を持つ可能性がある」外岡秀俊(元・東京本社編集局長)』(講談社ホームページhttp://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062193436より)